スイス国立銀行の米国株13F — 「フランを刷って」買った1,738億ドルの中身
スイスの中央銀行SNBは、米国株を2,301銘柄・総額1,738億ドル保有し、SECに13Fを52四半期連続・毎回全銘柄提出しています(2026年3月末時点)。原資は石油収入でも年金でもなく、フラン高を抑える為替介入の対価として発行した自国通貨——SNB自身が公式FAQで「ベースマネーを創造して外貨準備を構築する」と認めています。正確に言えば、刷ったのは紙幣ではなく銀行が持つフラン預金(銀行券708億フランに対し中銀当座預金4,291億フラン)です。
13Fの実測、「銘柄を選んでいない」ことの動かぬ証拠、2022年の▲1,325億フランという中央銀行史に残る損失、ノルウェー政府年金基金・日銀との対比まで、SEC EDGAR・SNB・日銀の一次資料で検証して整理しました(2026年7月26日時点・編集部構成)。
なぜ中央銀行が株主になったのか — 通貨政策の副産物
出発点はスイスフランの宿命です。危機のたびに「安全通貨」としてフランが買われ、輸出とインフレ目標が脅かされる。SNBは2011年に対ユーロの上限(1.20フラン)を設け、2015年1月15日にその上限を突然撤廃して政策金利を−0.75%へ(フランショック)。その前後を通じて、フランを発行して外貨を買う介入を続けた結果、外貨準備は2010年初の939億フランからピークの2022年1月には9,770億フランへ膨張しました。この準備の運用先として株式に28%を配分している——それがSNBが巨大株主である理由のすべてです。
「SNBはベースマネーを創造することで外貨準備を構築する」「(外貨準備の運用で)リターンの最大化は目的ではない。金融政策が常に優先する」
出典:SNB公式FAQ(バランスシート・資産運用の項、2026年7月閲覧)
その後の10年は往復です。インフレ局面の2022〜23年はフラン買い(外貨売り223億→1,329億フラン)で準備を縮小、2024〜25年は小幅な購入再開、そして2026年は3月・6月の金融政策評価で「介入の用意を高めている」と明言(政策金利は2025年6月から0%で据え置き)。株式配分も2025年末の25%から2026年3月末に28%へ上がっており、「刷って買う」局面への再転換が現在地です。
13Fの実測 — NVIDIA首位、上位10で全体の約3分の1
SECのEDGARから2026年Q1提出分(2026年5月7日提出)の明細2,301行を直接集計しました。
| # | 銘柄 | 評価額 | 全体比 |
|---|---|---|---|
| 1 | NVIDIA | $124.4億 | 7.2% |
| 2 | Apple | $109.5億 | 6.3% |
| 3 | Microsoft | $76.7億 | 4.4% |
| 4 | Amazon | $58.8億 | 3.4% |
| 5 | Alphabet A | $49.1億 | 2.8% |
| 6 | Alphabet C | $41.0億 | 2.4% |
| 7 | Broadcom | $40.9億 | 2.4% |
| 8 | Meta | $36.6億 | 2.1% |
| 9 | Tesla | $30.8億 | 1.8% |
| 10 | イーライリリー | $21.7億 | 1.2% |
※届出どおりAlphabetはA/C別建て。合算($90.1億)ならMicrosoftを抜いて3位、合算ベースの上位10銘柄で全体の35.1%。11位以下はExxonMobil、バークシャー・ハサウェイ、J&J、ウォルマート、Visaと続く。
時系列で見ると、初回提出の2013年6月末は$228億・約2,500銘柄。そこから2022年Q1のピーク$1,773億→2022年末$1,393億(利上げ局面の縮小)→2026年Q1で$1,738億まで戻しています。前四半期比は+$58億(+3.5%)でした。
「銘柄を選んでいない」動かぬ証拠 — 全部いっせいに+7%
SNBは運用方針を「株式は純粋にパッシブに、広範な市場指数を複製。銘柄選別もセクターの傾斜もしない」と公式に説明しています。今回の実測はそれを裏づけました。2025年Q4→2026年Q1で、上位銘柄の保有株数がNVIDIA +7.1%、Apple +6.1%、Microsoft +7.1%、Amazon +7.4%、Broadcom +7.5%と、ほぼ一律に増加——個別の判断が存在せず、配分引き上げに伴って全銘柄を機械的に買い増した形です。13Fの増減を「SNBがNVIDIAに強気」などと読むのは誤りだ、ということが数字自体から分かります。
ルールはシンプルです。世界の約5,900社を持ち、除外は2種類だけ——①世界のシステム上重要な銀行(G-SIB)(中央銀行としての利益相反を避けるため)、②重大な人権侵害・深刻な環境破壊・石炭採掘主業・国際的に非難される兵器に関わる企業。加えてスイス企業の株式は一切持たず(金融政策との混線回避)、為替ヘッジもしません(ヘッジ=フラン買いになり自らの介入と矛盾するため)。米国株では議決権も行使しない徹底ぶりです。
損益はジェットコースター — ▲1,325億フランの翌々年に+807億フラン
| 年 | 年間損益 | 中身 | 連邦・州への分配 |
|---|---|---|---|
| 2022 | ▲1,325億CHF | 債券▲720億・株式▲413億・為替▲298億(過去最大損失) | ゼロ(配当も無配) |
| 2023 | ▲32億CHF | 当座預金の付利コストと為替損が重石 | 2年連続ゼロ |
| 2024 | +807億CHF | 外貨+673億・金+212億(過去最大利益) | 30億CHF+配当復活 |
| 2025 | +261億CHF | 金+363億・株式+283億 vs フラン高の為替損▲531億 | 40億CHF |
| 2026 Q1 | ▲5億CHF | 株式▲63億・債券▲53億を金+78億が相殺 | — |
2022年の損失はスイスGDPの2割弱に相当する規模でしたが、SNBの業務には支障がありませんでした。公式FAQは「通貨創造能力ゆえ自国通貨では常に支払能力があり、自己資本は一時的にマイナスにもなり得る」と明記しています——民間の運用会社とは根本的にルールが違う投資家です。そして長期では株式が稼ぎ頭で、株式導入(2005年)以降の累計は株式+1,840億フランに対し債券▲1,080億フラン。年報2025は「株式投資が自己資本の再建と連邦・州への分配を決定的に支えた」と総括しています。
ノルウェーとの対比 — 「自国で見せるか、米国で見せるか」
| 項目 | SNB(スイス) | GPFG/Norges Bank(ノルウェー) |
|---|---|---|
| 資金の出どころ | 通貨発行による為替介入の対価 | 石油・ガス収入+運用リターン |
| 目的 | 通貨政策の副産物(リターン最大化は目的でないと明言) | 将来世代のための国家貯蓄 |
| 株式規模 | 約2,090億CHF≒約2,620億ドル(準備の28%) | 約15.2兆NOK≒約1.5兆ドル(全体の71%) |
| 13Fの開示 | 毎四半期・全銘柄・機密扱いゼロ(52期連続) | 機密扱い承認済み。全銘柄はQ4分の年1回のみ |
| 自前の保有公開 | なし(個別銘柄が見える唯一の窓が13F) | 全世界の全保有をDBで公開(年2回) |
| 議決権 | 米国株では不行使 | 全世界で積極行使(テスラ報酬案に反対等) |
一行でまとめると——ノルウェーは自国で全部見せて米国では年1回しか見せない。スイスは自国で何も見せず、米国で毎四半期全部見せる。同じ「国家の巨大マネー」でも、透明性の構造が正反対です。規模は株式ベースでGPFGがSNBの約5〜6倍。詳しくはノルウェー政府年金基金の検証記事をどうぞ。
日銀との対比 — 外国株を買った中銀と、自国ETFを買った中銀
日本の読者に最も近い比較対象は日銀です。両者は「中央銀行が株式を大量保有する」点で並び称されますが、中身は鏡写しのように逆です。
- 買ったもの:SNBは外国株のみ(自国資産は一切買わない)。日銀は自国株ETFのみ(外国株は買わない)。目的もフラン高抑制 vs 金融緩和と異なります。
- 見え方:SNBは毎四半期2,301銘柄が世界に公開。日銀はETF経由のため個別銘柄の開示はありません。
- 現在地:日銀は2024年3月に新規買入れを終え、2026年1月19日からETFの売却を開始済み(簿価ベース年約3,300億円、受託は三井住友信託)。保有は簿価37.0兆円・時価94.2兆円・含み益57.1兆円(2026年3月末)で、このペースだと完売まで単純計算で100年超。一方SNBに「売却開始」という概念はなく、株式は外貨準備の一部として政策に応じて増減するだけです。
- 損益の会計:SNBは時価会計で年次損益が±1,300億フラン振れる。日銀は簿価会計で、ETFの分配金(2025年度1.74兆円)が国庫納付の原資になっています。
おまけ — この中央銀行、株が買えます(SNBN)
SNB自体がスイス取引所(SIX)の上場企業です(ティッカーSNBN、1907年の営業開始以来の特別法上の株式会社)。発行済みはわずか10万株で、株価2,960フラン(2026年7月24日終値)から計算される時価総額は約3.0億フラン——総資産8,761億フランの中央銀行の「値札」が約550億円という珍現象です。株主は州・州立銀行で資本の51%、個人筆頭はドイツの投資家(5.01%)。ただし配当は法定上限15フラン(利回り約0.5%)、私人の議決権は100株まで、2022・2023年度は無配——「中央銀行の株を買っても、中央銀行の利益はほぼ手に入らない」設計です。利益の大半は法律により連邦と州に帰属します。なお日本の主要ネット証券にスイス市場の取扱はなく、国内からの購入は事実上困難です。
⚠ 留意点
- 13Fに載るのは米国上場株のみです。SNBの株式ポートフォリオ全体(約5,900社・約2,620億ドル)の約3分の2、外貨準備全体の約19%が見えているにすぎません。
- 保有の増減を「強気・弱気」と読まないでください。純パッシブの全市場複製であり、直近の一律+7%買い増しが示すとおり、個別銘柄への判断は存在しません。
- 数値の時点:13Fは2026年3月末(5月7日提出)、外貨準備は2026年5月末、株価・為替は本文記載の各時点です。次の更新材料は2026年7月31日のH1決算と、8月14日期限のQ2分13F(SNBは例年8月第2週に提出)。連邦・州への分配協定は2025年度で満了しており、2026年度以降の新協定は本記事時点で未確認です。
- 本記事は事実の紹介であり、特定の銘柄・通貨・商品の売買を推奨・勧誘するものではありません。投資判断はご自身の責任で行ってください。
一次情報(公式資料)
FAQ
Q. なぜスイスの中央銀行が米国株を大量に保有しているのですか?
スイスフランが「安全通貨」として買われすぎるのを抑えるため、SNBはフランを発行して外貨を買う為替介入を続けてきました。その結果積み上がった外貨準備(ピーク時9,770億フラン)の運用先として、28%を株式に配分しているためです(2026年3月末)。SNB自身が公式FAQで「ベースマネーを創造して外貨準備を構築する」と認めており、リターン最大化ではなく通貨政策の副産物である点も明言しています。
Q. SNBは何の銘柄を保有していますか?
2026年3月末の13Fでは米国株2,301銘柄・総額1,738億ドルで、上位はNVIDIA(124億ドル)、Apple、Microsoft、Amazon、Alphabetの順です。ただし銘柄を選んでいるわけではなく、市場全体の指数を複製する純パッシブ運用で、大手銀行株(G-SIB)と規範違反企業だけを除外しています。直近四半期は上位銘柄の株数が一律+6〜7.5%増えており、機械的な複製であることが実測できます。
Q. 13FでSNBの保有はどこまで見えますか?
13Fに載るのは米国上場株のみです。SNBの株式ポートフォリオ全体は約5,900社・約2,090億フラン(約2,620億ドル)で、13Fの1,738億ドルはその約3分の2、外貨準備全体の約19%に相当します。一方でSNBは2013年から52四半期連続で毎回全銘柄を開示しており(機密扱い申請ゼロ)、四半期ごとに全保有が見える点では、年1回しか全銘柄を開示しないノルウェーのNorges Bankより透明です。
Q. SNBの株は個人でも買えるのですか?
SNB自体がスイス取引所(SIX)に上場しており(ティッカーSNBN)、理論上は個人も株主になれます。ただし配当は法定上限15フラン(利回り約0.5%)、私人の議決権は100株まで、2022・2023年度は無配でした。株数はわずか10万株で時価総額は約3億フラン。日本の主要ネット証券にスイス市場の取扱がないため、国内からは事実上購入困難です。
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本記事はSEC EDGARの提出書類、スイス国立銀行・日本銀行の公表資料等の公開情報を基に当サイトが集計・整理した一般的な情報提供を目的としており、特定の金融商品の購入・売却を推奨・勧誘するものではありません。13Fは四半期末時点・45日遅れの届出であり、最新の保有状況とは異なる場合があります。投資に関する最終判断はご自身の責任で行ってください。
出典:SEC EDGAR Form 13F-HR(CIK 0001582202、2026年Q1ほか52四半期の当サイト集計)、SNB公式サイト・データポータル・年次報告2025・各決算プレスリリース、SIX市場データ(2026年7月24日)、日本銀行公表資料(売却方針2025年9月・実施2026年1月・2025年度決算)。円・ドル換算は本文記載の各時点(2026年7月26日時点・編集部構成)。